母から娘に伝えたいこと

離れて暮らす娘に、普段言わないこと書いてます。読むかなぁ・・・

幸せの基本  ( 副題ー”ごちそうさん”の西門姉にみる不幸になる人の基本、又はいじめの構造)

最近いろんな事があった。テレビの朝の連ドラ ”ごちそうさん” の西門の姉がリアルに感じられる様な出来事にも遭遇した。
ごちそうさん” を見てない人には何のことか分からないかもしれないから少し説明すると、ひどい嫁いびりをされ出戻った実家の実質的な家長として君臨し、全ての事(者)を支配下において居場所を確保しようとし、新しく来た弟の嫁をいびり出そうとするが、嫁が天真爛漫な性格で、いじめてる姉に対しても心から好意的な態度を変えない。そんな性格だから周りの人達もおのずと皆彼女を慕い彼女を助けようとする。そして彼女と接している人達、自分の妹までもが明るい性格になり、仲良くなり、助け合って、笑いの絶えない楽しい生活をおくることになっていく。それを感じてますます孤独を感じ不幸になる憐れな姉・・・というのが今までの展開だ。

この姉は誇張してあるにせよ、人には大きく分けて2つのタイプがあると思う。
幸せになれる人となれない人。

人間は心の生物だ。心が全てを支配している。
幸せに暮らせるかどうかは、自分次第なのだ。

人に慕われると幸せになり易い。ますます他の人の為になることがしたくなる。そしてそれが自分を支えるプライドになる。
自分は良い人間だと心から思えることが、幸せの基本である。
では慕われる始まりは何だろう。
それは与える(give)ことと許す(forgive)ことだ。

西門の姉は自分は運が悪く、自分を不幸にするような出来事ばかり起こるという思いにどっぷり浸かっていてそこから抜け出せない。
そのストレスを発散するために周りの人をいじめる。
そんな自分の行為も、自分がされてきたひどい仕打ちに比べたらささやかなものだ、それくらいがなんなんだ、ということになるのだろう。
もっと言えば、こんな私になったのは自分のせいではなく、他の悪人達によってこんな性格にされたのだから、文句をいうのならこんな自分にした悪人達に言ってくれ・・・という思考になっていると思われる。
そうやって正当化しなければ、到底そんな行動は出来ないはずだからである。

これがいじめの構造だと私は思っている。
いじめている人は自分がそれ程の悪いことをしている意識がない。
それよりも自分のストレスを発散させる欲求に打ち勝てないでいるのだ。
そうしないと自分を守れない・・・自分のことで精一杯で生きているのだ。

気の強い人は、こうやって自分に逆らわない人に対して、いじめの方向に進む。
気の弱い人は、自分の精神の方を傷つける方向に進む。

どちらも心を病んでいる。

どちらにしてもその共通するものは、物事の考え方が陽の当たる方向に進んでないという問題を抱えている。
つまりは、ここまで重傷にならないうちに、考え方の変換が必要だ。

事の始まりのところで失礼なことをしたのは自分だったかもしれない、それが相手を傷つけたのかもしれない。
あの人も何か悩みを抱えていたのかもしれない。
自分にも至らないところはある。
こう思って、その人がしてきたことを許し、相手の身になって考えてやることができれは、相手は必ずやその心に秘めた善の部分を全面に出してくることになる。
それを具体化しているのが ”ごちそうさん” の主人公、めいこだ。

あれはドラマで多分に誇張されていて、なかなかめいこの様にはなれないが、あれが幸せになる基本だと思う。






そもそも父親がひどい人間で自分をひどい家に嫁がせた。(嫁いびりのひどい家、という意味)
全ての不幸の始まりはこの父親のせいということになっている。