母から娘に伝えたいこと

離れて暮らす娘に、普段言わないこと書いてます。読むかなぁ・・・

とあるブログにコメントしてみた~苅谷教授の名を目にして~ブログ感

当時教育学部だった娘から聞いていた苅谷教授の名前。(今はオックスフォード大学の教授として専念されているそうですが。)ブログの最後に教授の著書が紹介してあったので、懐かしい感あってコメントしてみました。
ブログの記事タイトルは ”日本の学校は軍隊か刑務所” なるもので、人気ブロガーなので、ちょっとこんな話題でも書いてみました的なもので、べつに特段教育というものについて深い思い入れがあるわけじゃない方の記事。その場をちゃっかり利用して、学校教育全般の広い視点でコメントしてみた。(勝手に送信ボタンがクリックされてびっくらこん。カーソルが送信ボタンの側に行ってたのでなんらかの手違いでクリックと解釈された模様・・・恐ろしや。実はもっと手を加えたかったのにぃ。)

ブログを多数の人に読んで貰おうと思うなら、それなりの書き方、やり方というものがあるらしい。私は多数の人に読んで貰いたい気がないのでそんなことには関係なく、不定期で、ダラダラ長くて、内容も自分の興味あるものだけ書いている。
(それでもアクセスはゼロじゃないぞよ!
そ、そ、そんなレベルですか・・・?
いやいや、ゼロの日もあるじゃよ。そんな時には流石に少し淋しい・・・
がしかし初心を思い起こせばそれでいいんじゃ・・・
なんせ書きたいこと無くなったら、いつ止めちゃってもいいんだしぃー、
日記の様なもんさね。自分が愛読者かもしれんなあ、ふぉーふぉふぉー・・・)

なにしろ私は自分の為にこれを書いている。自分が書き残したいものを好きな様に書いている。これを読んで娘が、お母さんってこんな人だったんだ、ってより解ってくれると嬉しい。そして私の考えが伝われば尚嬉しい。

話をもとに戻して、私がコメントしたのは次の通りです。

今の学校教育の問題点は上げ連ねたらきりがない程です。
問題の根本は教育は社会の姿を反映しているということ。社会がどういう人間を求めているかということに繋がると思います。
今日本社会は大きな転換期に来ていると思います。これから先もそれなりの平和を保った存続可能な日本社会にしていくためには、皆の生活を支えるどういう仕事が発展していってくれたらいいのか、その為には子供にどういう人間に育ってもらいたいのかをもっと明確にするため、日本社会全体を巻き込んだ論議が必要になってくると思っています。
多様な人々があって社会は成り立っていると思いますが、人間がこの先も存続可能であるには、その思いの基共有の価値観を持たなければならないと思います。

子供は未来です。子供の教育は未来を創る基盤です。
私達大人がどういう人間としてこの地球に存在して、それは地球にとって存在自体が悪であったことにならないよう努力しなければならない。正しいことを行えば、それは即ち持続可能だと思います。自分のことで精一杯、自分のことしか考えられない人間を増やしている今の社会は持続可能ではないと思います。

人間が奢らず、地球の生物の一種として長らえていくためにはどういう生き方があるのか?そういう根本の問題を子供達に考えさせる教育、又それを考える為に必要となる知識を身につけさせること、又自分の考えたことを実践するために必要なスキルを学ばせる、ということが学校のすべき事だと思います。

学校の意義は、同世代の子供達を一同に会せる場を提供できるところにあると思います。普段は付き合わない好みや価値観の違う子供達が会するコミュニケーションの場、新たなアイディアを生み出す場、お互いの個性を刺激しあう場、お互いを理解し合う場。
大人になり社会に出て自分を活かして生きていく道を身につける準備期間が学校教育の場。時代が変われば、世の中が変われば、それによって変わるのは当然で、しかしあまりに巨大化した組織をかえるのは至難の業。でもそれをやらなければこの国は生き残れないところにまできているという意識が必要だと思います。

いつか何らかの形で、この考えを基にした行動が起こせたらいいなぁ、何て思う今日この頃です。