母から娘に伝えたいこと

離れて暮らす娘に、普段言わないこと書いてます。読むかなぁ・・・

鈴木メソッド追記

前回鈴木メソッドの話を書いたが今回はその追記を書こう。
鈴木メソッドは子供の育ちようは親次第ということで、まずは親の教育に重点を置いている。
教えてくれるのは楽器演奏だけど、子供が学ぶ道筋ということを親に教えるという大きな要素も含んでいる。
だからレッスンには親が必ずついて行かなければならない。そして家でのおけいこを親が指導する。
子供にはどんなことが出来て、どんなことが難しいのか。
どのように言葉がけをしてやれば、やる気を出して出来る様になるのか。
毎日おけいこする習慣をつけることで続ける体質、気質をつくる。、
自分の出している音をよく聴き、目標とする素晴らしい演奏との違いを聴き分けることによって、自らお手本に近づけ様とする意識を育てる。
私なりにはそういう主旨だと解釈している。

プロの演奏家になるのが目的じゃなくても、バイオリンのレッスンで子育ての基本教育を受ける。
その本質を理解し実行できれば、自ずとバイオリンもある程度は上手になる。
プロに成る程上達するかどうかは、その子が例えそれ以外のことが出来なくてもバイオリンを弾いていたいと思えるかどうかによる。
何事もプロになるにはそのことだけしか出来ないほどの時間を費やしなければならない。
まずその現実を受け入れられるほど好きなのかという、その一点で判断がつく。
現時点で上手に弾くかどうかではない。このことは割と早いうちに判断がつく。
その才能を持って生まれた子だといえる。
勉強で言えば、自由な時間にも百科事典や自分の興味のある専門書や難しい本なんかをいつも見ている子で、親が何も言わなくてもすんなり超難関大学に合格するような子だ。
でも殆どの子は必死に努力して、超難関大学に入る。
特別な才能はなくても超難関大学に入学できいい仕事を得る可能性は十分にある。でもクラッシックの演奏家の場合は最低限、才能(器用+それ一筋という)がなければ仕事にはありつけない。これはスポーツの場合も同じだ。

ではそれ以外の特別な才能を持たない子をどう育てるかというと、頑張れる体質気質を鍛えたり。
同じ所で習っている者同士の連帯感を育み、切磋琢磨し、励まし合う縦(先輩後輩)の関係性をつくることだったり。
そして親がその子のために努力する姿に、子供は大事にされている自分を実感させられることだったり。
オールマイティに応用できる子供が伸びるやり方をこの鈴木メソッドは教えている。

そんないい鈴木メソッドだけど、現実はそううまくは機能していないことも分かった。
10冊まである教本の一巻目の1番(キラキラ星)から始まりその順番はきっちりと決められていて、一巻の終わりになると修了試験がある。
その当時は指定曲を先生の元でテープに録音してもらい、それを鈴木先生が聞かれ、修了と認められれば修了証書を貰うことになり次の本に進むといった具合。
そうなってくると、各先生方の実力も試されることになり、一年に一度の修了試験のテープ録音の辺りは張り詰めた空気感になる。
子供も緊張し、自家中毒などでお腹を痛くする子供も出てくる。
そんなこんなで、鈴木先生の意図しないところで物事は進み、誰が今どんな曲を弾いているか、その進み具合の早さを競う風潮になる。
戦線離脱したと親が判断した子はイマ一やる気を失っている様に見えた。
大人の世界の事情で、子供がやる気を失うのだ。やる気を失うと生産性(?)が上がらない。
続ければ続けるだけ自信を失くすことになる。子供にとって自信や親の信頼を失うことは大きな痛手だ。

何のために鈴木メソッドでバイオリンを初めたんだっけ?
教育熱心な親が陥り易い過ちだ(自戒も込めて)。出来れば出来たで、もっともっととやらせる。出来なければある時点でプッツリと見離してしまい、ウチの子はダメだというような子供を傷つけることを言う。

娘と同期は3人で、習い始めの時は一緒に3人で1時間のレッスン。一人20分の個人レッスンを皆で共有する。
一人は男の子、娘より2カ月下、もう一人は8か月上の女の子。
その内、その男の子がついていけなくなり二人になった。二人は同じ速さで進み数年一緒に進んだ。先生の方もペアにしておいた方がいいと判断したのかどちらかが練習を休んだり、又家でおけいこしてこずボロボロ状態の場合、もう片方を先に進ませずなんらかの理由をつけて足踏みをさせたり、又ある時はその逆で、出来てなくてももう片方に合わせて先に進めたりすることとなった。
こうなると本末転倒。ちゃんとおけいこしてそれなりに出来ていても進めないのもやる気を失くすが、明らかに練習不足で出来てないのに次の曲に進めさせられる方もその先辛い思いをする。かくして親を比べれば明らかに音楽の精通度は格上のママ友が、もう一人の男のママ友に我家のことを ”親は全然音楽わかってないのに、子供はすごい良く分かってる。~ちゃんと一緒に居たらウチの子が出来が悪く思えて情けない。”と泣きながら訴えていたそうだ。プライドが高いが故に情けなく思えたんだろう。それを男の子のママ友から聞かされた私は淋しかった。
結局、その女の子は一緒の時間のレッスンから離れた。合奏では会えたけど。

娘は習わなかったけど、公文の場合もプライドの高いお母さんは、全国の順位を気にしてどんどんやらせるということを聞いた。
公文はもともとつまずきを見つけて、その前のわかっているところからやり直し、よく分かっていなければ間違いやすい問題を訓練するということから始まっている。そのことから始まり、ついでだから、パターン化できる計算に特化して大学受験に役立つところまで訓練させようというねらいだったと何かで読んだことがある。先取りできるものはやらせとこうという親心かもしれないが、いずれは学校で習うのだし、全国の順位が上位クラスの勉強になんら困ってない子が、思考しないパターン化訓練に励むというのは意外にマイナス面の方が大きいと思える。その時間を子供の時間として心を育むことに使えばもっと出来る子になると思う。

鈴木メソッドも公文も親が目先の進度に囚われて親子共々辛い思いをする恐れがある。それが落とし穴だ。
現在鈴木メソッドは海外での生徒数が圧倒的に多い。それは日本のレッスンの形態とは異なり、貧しい人用にバイオリンを貸し与えていたり、勿論レッスンに親等ついてこなくて良かったりするからだ。ただ純粋にそのメソッドで習う。そのメソッド自体は素晴らしいと思う。子供に本物の音楽を聴かせ、子供心を知りつくしたやり方で意欲を掻き立てる。そこには鈴木の本質を熟知した、子供心が分かり、教え方の上手な優秀な先生が必須だ。そういうことが海外では叶うから支持されるのだと思う。